在宅勤務とXY理論

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#心理学 #XY理論

#在宅勤務 #池田大作全集


パーソル総合研究所が全国の正社員(規模を問わず)2万人以上にネットアンケートをとった内容を見ました。

(20〜59歳対象 21448人 3月9〜15日に実施)

在宅勤務の実施割合は外出自粛要請前には13.2%だったのが、「この会社で初めて在宅勤務を経験した」人が47%にまで伸びました。

この期間で一気に在宅が広がったようです。

まだ中小企業では環境が整っていないとか、ICTの整備が追いついていないなどでできていない企業も多いと聞きますが、

いずれにしても今回のコロナで、日本の企業にもついにテレワーク、在宅勤務の仕組みが導入され、定着していくでしょう。

そうなると今後の一番大切なポイントは、社員を何で評価するか ということです。


家での仕事は時間で管理することがなかなか難しい。

特に初めてテレワークを実施している人は家でどのように仕事をしているのか、企業の社長や管理職の方々はとても気になっていることでしょう。

これまでは朝7時には家を出ていた人も、家からでないでいいわけです。

その時間はきっとテレビでニュースでも見ている人が増えているでしょう。

会社によっては、毎日9時の始業時に出社のチェックをネットでするように決めている会社もあるはずです。

出社マークをチェックしていれば在宅でも出社したことになる仕組みです。

また、毎朝9時からオンライン朝礼をやる会社もあると思います。

そのように、時間を決めているところはいいですが、決めていない会社では朝、社員が何をしているかがわからない。


・昼休みをどのくらいとっているか。

・突然会議の連絡をしても反応がない。

・電話をしてもでない。

・仕事中にyoutubeなどの動画、ゲームをしてサボっているのではないか

・知らない間に仕事を終えている・・・などというケースもあるのではないかと訝って見てしまいます。


はじめて「会社から解放」されたら、人は弱いので「だらけてしまう」からです。

日本人はまじめだから家でもしっかり仕事をする というのは甘い考えで、子どもを見ていたらわかりますが、時間を厳しく決めてスケジュール管理する人がいなければやることをやれないのです。


ではスタッフのモチベーションはどうしたらあがるのか?

自社の社員、面倒をみている後輩スタッフがどうしたらもっとやる気がでるのかというのは、経営者や管理職の悩みの種です。

ここでふと、アメリカの心理学者であるマグレガーの「X理論・Y理論」が頭をよぎりました

X理論・Y理論とは、ダグラス・マグレガー(1906-1946)が提唱した、2つの異なるタイプの人間と、それに対応するマネジメントスタイルの理論です。

X理論は、アメとムチのマネジメント手法で以下のような考え方が前提となっています。

人間はそもそも仕事が嫌いで、できることなら仕事はしたくないと思っている

たいていの人間は強制・統制・命令・処罰がなければ、目標を達成するために十分な力を発揮しない

人間は命令される方を好み、責任を好まず、野心を持たず、何よりもまず安全を望んでいる

したがって、X理論のマネジメントにおいては、明確に規定された仕事を与え、常に監視・監督することが求められます。また、モチベーションを維持するためには、賃金を上げるか、懲罰を与えることが必要です。

このようなX理論に則って働くマネジャーは、部下の人格を尊重せず、不信感や敵意を招きかねない独裁的な管理方法を選びます。



Y理論は、機会を与えるマネジメント手法をとります

仕事は、遊びや休息と同じようにごく当たり前のことである。

人間は生まれつき仕事が嫌いなのではなく、どこまで自分でコントロールできるかという条件による。

人間は、自ら立てた目標のためには自己管理、自己統制を発揮するものである。

また問題解決のためのクリエイティブな能力は、幅広い人々に備わっているものであり、一部の人だけのものではない。

Y理論のマネジメントは、個人の欲求や目標が企業目標につながり、調和するような仕事環境を確立しようと努めます。

企業目標と従業員個人の欲求や目標が、はっきりとした方法でコントロールできれば、従業員は絶えず自発的に自分の能力や知識を高め、それを現場で活かして企業の繁栄に尽くそうとするようになります。


今回のテレワークで顕著になった事が「日常のマネジメントスタイル」であり、苦戦している企業の殆どがX理論を基にしたマネジメントを行っている。

X理論を考え方の基本とした「指示命令で統制していく形のマネジメント」はテレワークとは相性が悪い。

監視の目が無い以上、放っておく事になるので大抵はサボることになる。

ではいきなり「Y理論で」と言っても難しいだろう。

今回のコロナウイルスの影響でテレワークが急速に浸透していくことは間違いありませんので、これから新しい管理手法を問われていく時代になると思います

(岩崎剛幸の変転自在ブログより引用)




1990.6.8 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

3  リーダーシップが変化した時代

 さて、現代は「女性の時代」といわれる。女性が元気な時代である。各分野での女性リーダーの活躍もめざましい。

 その分、男性はどうもさえない(笑い)。なかには「住宅から″大黒柱″が無くなったのと並行して、男性が頼りなくなった」(笑い)と論じる人もいる。なるほど現在の建売住宅には昔風の大黒柱はない。それは男性が″柱″でなくなったことを象徴しているかのようだというのである。

 それが当たっているかどうかは別にして、これまでの男性中心の社会のあり方が、大きく変化していることは間違いない。そうした変化に対応できず、多くの男性が戸惑い、また自信を失っているのが現実である。自分が″時代錯誤″におちいっているのに気づかず、周囲の顰蹙を買っている人も多い。男性のほうが、時代に遅れてしまっている面がある。

4  それでは、この「変化」の本質は何なのか。当然、さまざまな要素があるし、多次元から論じなければならない。そのうち、本日は一点のみふれておきたい。

 それは、家庭、職場、諸団体など、あらゆる組織での「リーダーシップの変化」である。求められる″指導者像″が、かつてとは大きく変わっているのである。

 すなわち、それは、まず「命令する人(命令者)」から、全体の「調和をつくる人(調整者)」への変化である。

 「上意下達」(上の者の意思を下の者に通すこと)という″命令″調の時代は、とうに終わっている。「下意上達」(下の者の意思、意見が上の者に達すること)、あるいは「上下のコミュニケーション」(意思の疎通)を図ることが、中心者の使命になっている。上下一体の協力であり、前進である。

 それは、″統制″や″強制″を行う「管理者」ではなく、メンバーの自発性、すなわち″やる気″を引き出す、真の「リーダー」への期待でもある。

 「管理者」とは、発展の原因、すなわち人々の″やる気″を起こさせる努力もしないで、結果の報告ばかリチェックする指導者である。これでは官僚主義になってしまう。また、みずからが原因もつくらず、結果だけ得ようとすることは、仏法の因果の理法のうえからも、道理のうえからも、まことにおかしなことである。愚かなことである。

 これに対し、「リーダー」とは、一人一人の胸に希望と勇気をわかせ、発心を引き出しながら、結果については自分が責任をとるという人である。

 この違いは大きい。ますます大きく、鮮明になる時がきた。人々は命令や管理には、いわば本能的に反発する。″下から″″第一線から″の時代なのである。

5  権威から献身ヘ

 こうした指導者像の変化は、一言でいえば「権威」から「献身」へ――と要約できるかもしれない。冒頭に鄧女史の話を申し上げたが、上の立場にあるほど、人々のために、現実にどれだけ尽くしたか、それが問われているのである。

 組織のあり方も、命令を中心にした″軍隊的組織″から、人間同士のつながりを基軸にした″家族的組織″に変化せざるをえない。一方通行の″直流型″から、話し合い、コミュニケーションの″交流型″への切り替えである。その先駆の実践をしているのが創価学会である。(拍手)

6  ともあれ、時代の流れ――トレンド(流れ)は急速に変化、変化を続けている。これにすばやく対応したところが、企業等でも伸びている。このことは、アメリカの社会学者、未来学者らが、声をそろえて強調している。

 そして、どちらかといえば女性のほうが、この変化にうまくフイットし、適応しているようだ。

 ここに「女性の時代」といわれる一つの背景がある。

 反対に、男性は過去の″命令調″にとらわれ、時代遅れになっている側面が強い。

 皆が、何でも言うことを聞き、いわゆる素直だった″古き良き時代″を(笑い)懐かしがってばかりいる。自分こそ成長が止まり、遅れてしまったことを自覚しないで、皆が悪いように錯覚し、現状を嘆いている。これでは進展がない。喜びがない。功徳も少ないし、境涯が開かない。周囲の成長をも止めてしまう。

 多くの壮年が、こうした″時代とのギャップ″に悩んでいる。

 会社でも、まして自由な学会の組織では、たんなる命令では、もはやだれも動かない。

 また、かつては情報が″長″に集中していた。しかし知識産業、情報産業の発達で、現在は、企業等でも、第一線の人のほうが、よほど多くのことを知っている場合がある。

 学会においても、同時中継の体制が定着し、また学会指導の学習が進んで、第一線の友のほうが、幹部よりもよほどしっかりしている場合が増えてきた。(笑い)

 さらに、転職が増えているが、今や人々は、自分の力をより生かせる職場へと、どんどん替わっていく。アメリカ等では、とくにこの傾向が強い。日本でも、昔のように、一つの会社に無条件に忠誠を誓うという考え方は、減ってきた。善し悪しは別にして、これが現実である。

 今はむしろ、メンバーが幹部を吟味し、選んでいる時代であろう。

 「あの人なら信頼できる」「あの人となら、一緒に進んでいける」「あの人の話は、どうも調子がいい」(笑い)「口ばっかりだ」(笑い)等々――そのように厳しく見ている。

7  要するに、今や、権威でも、命令でも、強制でも、情報量でも、人々をリードすることはできない。そうした人々を、いったい何をもってリードし、どのように団結させていくのか。どうやって、価値的に組織の目的を達成していくのか。

 すなわち企業でいえば、どうすれば皆が働きやすくなり、利潤を追求しつつ、社会に貢献できるのか。

 学会でいえば、どうすれば一人の人が信心に立ち上がり、喜び勇んで「広宣流布」と「一生成仏」の道を歩んでいくことができるのか。

 ここに、現代のあらゆる指導者が直面している課題がある。

 そこで、「権威から献身へ」――この抜本的な変化を自覚できるかどうかが、その団体の未来を占うキーポイント(カギ)となる。そして、この「献身」にこそ、仏法の精神もある。

 仏法には本来、いわゆる悪しき権威など微塵もない。日蓮大聖人も、そうした悪と徹底して戦われた。これほどまでに――とさえ思われるほどの激しさ、厳しさであられた。そして正法流布のため、人類のため、悩める人のために、わが身を捨てて「献身」され、尽くされた。

 私どもは大聖人の門下として、このご行動を深く深く拝していかねばならない。