志村けんから学んだこと①

志村けんから学んだこと①




#志村けん #生老病死

#ローマ帝国 #新人間革命



「Y君は将来、何になりたいの?」

という幼稚園の先生の質問に対し、幼少時代の僕は次のように答えたのを覚えている。

「変なおじさん」

そのくらい僕にとって志村けんの存在は大きかった。

今までも有名人の訃報のニュースをみてきたが、今回の訃報は一番ショックかもしれない

『8時だョ!全員集合』はリアルタイムでは見てはいないが、

「志村けんのだいじょうぶだぁ」は毎週お茶の間で観ていたが、

その中のコントで登場する「変なおじさん」やスイカの早食いをよく真似したのが懐かしい

2020年3月29日に亡くなった志村けんさん(享年70)を追悼する特別番組「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」(フジテレビ系)が、4月1日に生放送された。

番組中では、共演したはずの田代まさしの姿が映ることはなかったが「志村けんのだいじょうぶだぁ」のコントも紹介されていた。


新型コロナウイルスに感染し、合併症の肺炎により亡くなった志村けん。

荒井注に代わって1974年にザ・ドリフターズの正式メンバーとなり、『8時だョ!全員集合』の「東村山音頭」でブレイクすると、その後は「ヒゲダンス」「カラスの勝手でしょ~」「アイーン」などのヒットギャグを連発し、日本中の人気者となっていった。

 その芸風は実に多彩だった。加藤茶にツッコんだかと思いきや、いかりや長介を相手にボケをかます。ツッコミもボケも一流で、コントにおける「間」も抜群。志村が加入する前のドリフターズの“エース”は加藤だったが、それはいつしか志村さんに変わっていった。

 いかりや長介は、自伝『だめだこりゃ』(新潮社)で、次のように記している。

「笑いに関しては素人の集まりでしかなかったドリフだったが、今思えば、この志村だけが、本格的なコメディアンの才能をそなえていたのかもしれない」




新人間革命7巻 早春の章より

一行は、再びタクシーに乗った。左手には、ヨーロッパ有数の活火山といわれるヴェスヴィオ火山がそびえていた。

 この山は、二十年ほど前の一九四四年にも、大噴火しているが、今、車窓から見る山は、穏やかな姿であった。

 伸一は、同乗のメンバーに言った。

 「そういえば、イタリアの有名な民謡に『フニクリ・フニクラ』があるが、そこに出てくる″火の山″というのは、このヴェスヴィオ火山のことらしいね。

 この山の登山鉄道の完成を記念して作られた歌だと聞いたことがある」

 車は間もなく、ポンペイの遺跡に着いた。

 ポンペイは、商業都市として、またローマの貴族の保養地として繁栄を誇った古代都市である。

 それが紀元七九年に起こった、ヴェスヴィオ火山の大爆発によって壊滅し、地中に埋もれてしまったのであった。

 そして、十八世紀半ばに再発見され、発掘が続けられた結果、かつての繁栄の姿そのままが蘇ってきたのである。

 28  早春(28)

 山本伸一たちは、ポンペイの遺跡の入り口のそばにある博物館を見学した後、遺跡を巡った。

 イタリア人の初老の男性ガイドの説明を、小島寿美子が必死になって通訳してくれた。

 市街は、ほぼ楕円の形に広がっており、東西千二百メートル、南北六百五十メートルほどという。

 マリーナ街と呼ばれる遺跡の道を抜けると、すぐに中央広場がある。ここには神殿や公共の施設が集中し、ポンペイの市民生活の中心的な場所であった。

 一行は、広場北側にある門をくぐり、道路の敷石を踏みながら進んでいった。道沿いには、石造りの住居や公衆浴場が並んでいた。建物の多くは屋根が失われているものの、当時の繁栄の様子を伝えていた。

 一軒の家の前で、ガイドの男性が足を止めた。玄関の床にほどこされた、犬のモザイクが美しかった。

 「この家は″悲劇詩人の家″と呼ばれております。有名な小説『ポンペイ最後の日』の、主人公の邸宅のモデルになったものです」

 『ポンペイ最後の日』の作者は、バルワー・リットン卿である。

 彼は一八〇三年にイギリスのロンドンに生まれ、ジャーナリスト、詩人、劇作家として活躍する一方、政治家としても知られた人物である。

 リットン卿は三十歳の秋、イタリアを旅し、このポンペイの廃墟に立った。

 その時、繁栄を誇った古代都市の滅亡の情景を思い描き、胸に、ふつふつとわき上がる感慨があったようだ。

 それを長編小説に書き上げたのが『ポンペイ最後の日』である。

 伸一たちは、更に、邸宅や劇場、商店、地下牢などの遺跡を見て回った。美しい壁画や彫刻が、そのまま残されている家も少なくなかった。

 歩みを運ぶたびに、道路の敷石が、コツコツと乾いた音を響かせた。かつてはポンペイ市民が行き交い、賑やかな声が聞こえていたことであろう。

 伸一が視線を上げると、家並みの向こうに、ヴェスヴィオ火山が悠然とそびえていた。

 火口のある山頂は、標高約一二八〇メートル、右手にかつての噴火でできた外輪山がある。その裾野が、なだらかに広がっていた。

 約千九百年前――このヴェスヴィオの大噴火によって、ポンペイの時計は止まってしまっていた。

 当時、ポンペイの人口は約二万人。死亡したのは、そのうちの一割、二千人程度と推定されている。


 29  早春(29)

 ポンペイは、紀元七九年の大噴火の十七年前にも、大地震で甚大な被害を受けており、あちこちに傷跡が残っていた。そこに大噴火が起こったのである。

 山本伸一の胸には、小説『ポンペイ最後の日』のクライマックスの光景が、生き生きと蘇ってきた。

 ――淫蕩な偽聖者アーバシズのワナによって、無実の罪を着せられ、闘技場で猛獣の餌食にならんとする主人公の青年グローカス。それを平然と眺める悪人アーバシズ。真実を知らず、残虐な見世物を待ちわびるポンペイ市民たち。

 そこへ、アーバシズの悪事を告発する証人が現れ、場面は緊迫する……。

 まさにその時、ヴェスヴィオ火山が大噴火する。

 「松の巨木のような形で煙の柱が見えた。その幹は黒煙であり、その枝は白熱の火であった。その輝きは一瞬のあいだ赤く薄れるかとみると、たちまちまた激しい光を見せて、天にほとばしり、刻々にその形と色を変えていた」

 大地が激しく揺れ、黒煙に覆われた空から、火山灰や軽石が降りしきった。

 富豪も貧者も、市民も奴隷も、男も女も、老いも若きも、まったく区別なしに、一瞬のうちに生死の境に突き落とされてしまったのである。

 この大混乱に乗じて、″今こそひともうけする時だ″と、財物の略奪に夢中になり、逃げられなくなった愚かな男がいる。息子が父親を打ち倒して、その財布を奪うという非道な場面もある。

 だが、そこで見られたのは、人間の卑しい行状ばかりではなかった。このパニック状態のなかでも、燦然と輝く、気高く、高貴な人間の振る舞いがあった。

 それは、友を気遣う心であり、危険を顧みず、人を助ける勇気であった。たとえば、盲目の少女ニディアが、奇跡的に再会したグローカスとその恋人アイオンを、決死の思いで導く姿のように……。

 リットン卿の筆は、極限状態における人間模様を鮮烈に描き出してやまない。

 ところで、今日では、発見された遺体や堆積物の様子から、被災の状況もかなりわかってきている。

 それによると、ヴェスヴィオ火山の噴火は翌日まで続き、軽石及び火山灰が数メートルも降り積もった。また、この間、数度にわたって、細かい灰を含んだ高温の爆風や火砕流が、瀕死の街を襲ったようだ。

 助かった人びとは、おそらく取るものも取りあえず避難したのであろう。街が軽石などに埋もれ、身動きもできなくなるまでには、まだ、時間の余裕があったはずだからである。

 30  早春(30)

 一方、噴火で亡くなった人びとには、富裕な階層や、その家で働いていた人が多かったようだ。

 豪邸を離れるのをためらったり、財産を持ち出すために時間がかかり、逃げるチャンスを逸してしまったのであろう。金貨や銀貨、装身具などを持ったまま息絶えた人もいた。

 また、堅固な家や地下室で災難の治まるのを待とうとして、かえって崩れてきた屋根の下敷きになったり、高温の爆風の犠牲になった人びともいた。

 山本伸一は、路傍の石に腰を下ろすと、同行のメンバーに語り始めた。

 「『ポンペイ最後の日』は、人間にとって、人生にとって、何が最も大切かという、根本問題を問いかけているように思える。

 小説では、この世の終わりのような大惨事のなかでも、神の下の永遠の生命を信じて、従容として振る舞う、キリスト教徒オリントスの姿が描かれている。

 実際には、当時、キリスト教は、まだ、ポンペイにほとんど広まっていなかったようだが、リットン卿は、オリントスのような姿を通して、人生の根本問題や、本当の宗教というものの在り方を語ろうとしたのであろう。

 どんな人であれ、生死の苦悩から逃れることはできない。世界中から金銀財宝を集めても、どんなに地位があり、権力をもっていても、この問題だけは決して解決できない。

 大聖人は『世間に人の恐るる者は火炎の中と刀剣の影と此身の死するとなるべし』と仰せになっているが、誰でも死ぬのは怖いし、また、それほど大事なものが生命といえる。

 だからこそ、その大切な生命を何のために使うのか――ここが焦点だよ。

 ところが、人間は、ともすれば、この根本問題から目をそらして、眼前の楽しみや利害に心を奪われ、流されていってしまう。残念なことだ。

 しかし、私たちは、日蓮大聖人の仏法を持ち、地涌の菩薩の使命を自覚して、人類を救うため、広宣流布のために働いている。

 最も大切な生命を、最も崇高な目的のために使う、最高の人生なのだ」

 伸一は、更に、小島寿美子に言った。

 「小島さん、人生は短いよ。また、何があるかもわからないし、無常なものだ。しかし、仏法という永遠常住の法に生き抜くならば、永遠の幸福の道を開くことができる。

 だから、確固不動の自分をつくり、何があっても、どんなに苦しく、辛いことがあっても、生涯、広布の使命に生き抜くことだよ」