新型コロナへの新薬開発

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#パンデミック#製薬会社

#研究開発#池田大作全集

新型コロナウイルスによる肺炎(新型肺炎)が世界で猛威を振るい、日本でも各地で感染者が続出している。そこで世界中で期待されているのは新型肺炎の治療薬や、重症化を予防するワクチンの登場だ。

 新薬開発で注目の製薬会社は米ギリアド・サイエンシズ、アッヴィ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、英グラクソ・スミスクラインなど海外勢が目立ち、

日本勢の影は薄い。世界中で新薬の研究開発能力があるのは、先進国の一部企業だけなのにもかかわらずだ。

基本的なところから説明すると、国内の製薬会社には、「注力分野」がある。

新薬開発にかかる費用が膨大なため、経営資源を集中させているのだ。

 ワクチンといえば武田薬品工業、第一三共、BIKEN(田辺三菱製薬が33.4%出資)、明治ホールディングスなど。

感染症分野の治療薬といえば、塩野義製薬などの会社名が挙がる。

 新薬開発を表明しないことに対する不満をこれらの企業にぶつけることはたやすい。

だが製薬会社の多くは株主利益の最大化を図る上場企業。複数の業界関係者に取材すると、過熱する報道を尻目に驚くほど冷静で、現状は、「ビジネスとしてシビアに見ている」というのが本音のようだ。

まずもって、感染症は「流行」があるため、治療薬やワクチンの開発(通常数年~十数年)が完了した頃には流行が終息している可能性が高い。

いざ上市の段階になって「ほとんど売れない」となれば、製薬会社は当然、研究開発費を回収できない。そもそも治験段階で必要な感染者が集まらず、開発断念という“リスク”すらある。

 それでもCSR(企業の社会的責任)だと割り切って開発する手もあるが、「一企業で開発するには事があまりにも大きくなり過ぎた」(大手製薬会社)。

 ワクチンに限れば、日本は「ワクチン後進国」といわれるほど接種に消極的な時代が続いた。それに伴い、日本勢が開発力に乏しいことも背景にあるようだ。

2020.2.28 ダイヤモンドオンラインより

1996.12.21 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)より

1  ジェンナーの「種痘」の発見から二百年

 私どもの前進は、目先のことを考えての戦いではない。戸田先生は、私どもの事業の意義は「二百年後に、わかるよ」と、おっしゃった。今、何を言われようと、二百年たてば、人類は私どもを妙法流布の恩人として感謝するだろうと。


2  「二百年」とは、どんな年月か。二百年前、日本は江戸時代。フランスはナポレオンがイタリア遠征をしていた。中国は清王朝のころ。そして、ちょうど二百年前の一七九六年、イギリスではジェンナー(一七四九年〜一八二三年)が、安全な「種痘法」を発見した。天然痘(痘瘡とうそう)という「死の病」を撲滅する偉大な第一歩であった。

 日本人の大人は、だれでも左右どちらかの腕に「種痘」の痕が残っている。このおかげで私たちは、天然痘で死ぬこともなく、顔にアバタを残すこともなく成長できた。しかし、つい二百年前まで、人類は有史以来、この病気で苦しみ続けた。世界の各地で、人々は、ばたばたと死んでいったのである。

 二百年前の一七九六年、ジェンナーが画期的な「牛痘接種ぎゅうとうせっしゅ」を始めた。それが全世界に″広宣流布″し、一九八○年五月、世界保健機構(WHO)から「天然痘は地球上から根絶された」と宣言された。

 人類を苦しめ続けた「不幸」のひとつは絶滅した。その間、約二百年。ジェンナーは「人類の恩人」である。

3  しかし、はじめは非難ごうごうであった。専門家の医師は認めない。権威ある王立協会は、ジェンナーの論文を受け取らない。聖職者は、牛痘を人間に植えつけるなんて「神の道の妨害だ」と説教した。

 また「牛痘を受けると、牛のように耳は毛むくじゃらになり、牛のしっぽがはえる」と書かれた。多くの人が信じた。今、考えれば、笑い話のようであるが、新しい動きに対しては必ず、古いものからの攻撃がある。牛痘に反対するための団体まで組織された。嘲笑もされ、ジェンナーは「四面楚歌」であった。

 しかし「実証」ほど雄弁なものはない。「牛痘」の効果が知られていくと、先入見や利害のからまない人々は、ジェンナーを認めた。

 それまでの「人痘じんとう」接種(天然痘患者の膿を植えつける)が、時に死亡者を出したのに比べて、「牛痘」接種は極めて安全だったのである。

 ナポレオンは、イギリスと戦争中だったにもかかわらず、英国人のジェンナーに「記念メダル」を贈って、たたえた。ナポレオン軍は全員、強制的に「牛痘」の接種を行った。

 やがて世界に広まったが、日本は鎖国中であったため、普及されたのは世界で一番あとのほうであった(幕末)。

 私どもも、二百年後には、人間の不幸の流転にストップをかけた「人類の恩人」と言われるにちがいない。

4  謙虚に「民衆の知恵」に学べ

 ジェンナーが牛痘を発見するきっかけは、何だったのか。それは「民衆の智慧」であった。

 牛と接触することが多い農村の人は、よく「牛痘」にかかった。たいてい、赤い発疹が出るだけである。そして「一度、牛痘にかかると、もう天然痘にはかからない」という民衆の言い伝えがあった。この言い伝えを科学的に研究して、ジェンナーは「種痘」法を発見したのである。

 ジェンナー以外にも、同じ言い伝えを聞いていた人は無数にいたであろう。しかし、民衆に学ぶ謙虚な心をもっていたゆえに、ジェンナーだけが、新しき歴史をつくった。そこに、彼の勝利のカギがあった。

 (種痘については、ロベルト・マルゴッタ『図説 医学の歴史』岩本淳訳〈講談社〉、W・H・マクニール『疫病と世界史』佐々木昭夫訳〈新潮社〉、深瀬泰旦「ジェンナー」『歴史読本――世界の名医たち』一九八九年四月増刊号所収〈新人物往来社〉を参照した)

5  ともあれ、「勝利」は「苦しんだ人」にしか訪れない。苦しまず、悩まずして、勝利はない。

 ジェンナーが、″民衆に学んだ″ように、リーダーは″会員を尊敬し、会員に学ぶ″ことである。

 ″これほどまでに″と言われるほど、徹底して″会員を大事にする″ことである。一生懸命に″会員の幸福を祈り″″会員を守る″ことである。これが根本中の根本である。ここに徹すれば、学会に永遠に行き詰まりはない。

 そして、後継の青年を全力で育てていくことである。融合一体して、一緒に戦うなかで、「強い人間」をつくり、「負けない人間」をつくり、「智慧(ちえ)のある人間」をつくっていかねばならない。 “