ガリレオの地動説

ガリレオの地動説





#理科 #歴史 #地動説

#科学と宗教 #池田大作全集

1983年の5月9日。ローマ教皇の「ヨハネ・パウロ2世」がバチカンで開かれたシンポジウムで、ある人物に対して謝罪をしました。

ある人物とは、16世紀から17世紀に活躍したイタリア人の「ガリレオ・ガリレイ」です。

1564年、現在のイタリア・トスカーナ地方のピサで生まれたガリレオは物理学者、そして天文学者として知られるようになります。

1609年には、自分で作った望遠鏡で天体の観測を行ない、「月の表面にクレーターがある」ことを発見。

この時代、月は完璧な球体だと思われていました。その後も「木星」や「太陽」、「土星」など太陽系の惑星に望遠鏡を向けます。

そしてガリレオは「金星が満ち欠けする」ことに気がつき、詳しく天体を観測すればするほど、

地球が、太陽の周りを回っていると考えるようになりました。これが、当時一般的であった「天動説の否定」となります。


ここで問題になるのは「天と地と大地は、神が創造した」という旧約聖書の内容です。

キリスト教の影響が絶大だったこの時代、ガリレオが「天動説」を否定して「地動説」を唱えることは、聖書の内容を否定することにつながってしまったのです。

このためガリレオは宗教裁判にかけられます。裁判の結果、「地動説」は異端であるとされ、地動説を広めることを禁止されました。

それでも学者として研究を続けたガリレオは、2度目の宗教裁判にかけられます。

判決で「地動説はまちがい」と誓わなければ死刑、と宣告され、ガリレオはついに無理矢理誓わされてしまいました。

この裁判の最後に、「それでも地球は回っている」と、つぶやいた逸話は有名です。

とはいえ、カトリック側も1983年に、宗教裁判が誤りだったことを表明。

1992年には、正式にガリレオの名誉を回復しました。400年も前のことだとしても「間違っていたなら正す」というカトリックの行動も、すごい話です。




1987.8.23 スピーチ(1987.7〜)(池田大作全集第69巻)

前後

16  異端と断罪されたブルーノ

 さて、イタリア・ルネサンス後期の思想家で、″近代宇宙観の先駆者″であるジョルダーノ・ブルーノ(一五四八年〜一六〇〇年)については、昨年の中野兄弟会等の合同大会でもお話ししたし、先日、宗教裁判を論じた折にも、若干ふれた。しかし、その後、何人かの青年から″もう少しブルーノについて論じてほしい″という手紙もいただいたので、再び少々、論じておきたい。

 ブルーノが生きた時代は、日本では戦国時代後期に当たり、織田信長(一五三四年〜八二年)、豊臣秀吉(一五三六年〜九八年)、徳川家康(一五四二年〜一六一六年)らの時代であった。天文学史のうえでは、有名なコペルニクス(一四七三年〜一五四三年)の死後五年目に生まれ、ガリレイ(一五六四年〜一六四二年)らとともに、天文学の″コペルニクス革命″を継承し、発展させた世代に属する。

 彼は十七歳で修道院に入るが、「真理」への真摯な姿勢と「知」への情熱から、カトリックの教義に根本的な疑問をもつにいたった。そして彼は「異端」の疑をかけられ、十八歳で修道院を飛び出す。以来、十五年余、ヨーロッパ各地を旅行し、研鑽と研究の青春時代を送る。その結晶として″宇宙無限論″ともいうべき考えを生み出す。


 「真理」を求め、懸命に研鑽に励む青年の姿は美しい。本当の人生観、宇宙観を探究しながら生きゆく真剣な青春こそ偉大であり、人生の価値も、そうした、根本を追究する姿勢から、生まれてくるものと思う。

 ともあれ、最後にイタリアへえもどったブルーノは捕らえられ、一説によれば以降六年間、亜鉛板ぶき屋根裏部屋に監禁され、孤独な生活を送る。さらにローマに移され、そこで二年にわたり審問を受けるが、最後まで信念をまげず、ついに一六〇〇年、宗教裁判所によって火あぶりの刑を受け、その生涯を閉じている。

 壮絶な最後ではあったが、彼の思想的な影響は大きかった。その影響はフランスの哲学者・デカルト、オランダの哲学者・スピノザ、ドイツの数学者・ライプニッツ、ドイツの文学者・ゲーテなどにも及んでいる。



 17  ブルーノの生涯と思想については清水純一氏の優れた研究があるが、その宇宙論は、「宇宙は無限の拡がりである故に、無数の万物を包み、しかも万物はそのなかで生成流転を繰り返しながら、それらを包む宇宙は永遠不変である。

その展開された姿においてさまざまの差異・対立を含みながら、宇宙そのものは『ありうるものすべてを包み、しかもそれらに無関心』な一として存続している。

したがって宇宙そのものには上もなければ下もなく限界もなければ中心もない。消滅もしなければ生成もない。(中略)無限なる宇宙のなかには無数の天体(世界)が存在し、そのなかでまた無数のアトムが集合離散を繰り返している。

したがって、この地球(世界)と同様の世界は他にも存在するはずだし、われわれ人間同様あるいは『よりすぐれたものも、どこかに住んでいないとは考えられない』(『ジョルダーノ・ブルーノの研究』創文社)というものであった。


 さらに清水氏によれば、当時の人々に広く受け入れられていた天動説では、宇宙の中心は地球であり、その地球の中心はローマ(裏側の中心はエルサレム)であるとされていた。したがって、天体の諸遊星はローマ教会を中心に回っているとされており、それが、ローマ教会の尊厳性の証の一つとされていた。

 仏法でも信心の道を閉ざそうとする働きとして「三類の強敵」がある。敷衍していえばこの愚かしく粗野な大衆による迫害は、第一類の俗衆増上慢にあたる。

神学者などの宗教者による迫害や、彼らが権力者を利用した迫害は、第二類の道門増上慢、第三類の僣聖増上慢にあたるともいえよう。そうとらえれば、迫害の方程式は、いつの時代でも、いずこの国でも同じとなろう。




 18  仏法は「人間共和」築く大法

 ブルーノに対しては、なんと二百六十一項目にわたる異端の嫌疑について審問が行われた。その背景には彼の人間観があったとされる。

 すなわち″人間は人間であって、決して人間以外のものではない″というのが彼の人間観であった。彼は徹底してキリストを「神」としてではなく、「人間」として見たのである。(前掲『ジョルダーノ・ブルーノの研究』参照)

 仏である釈尊にしても、天台大師も、人間であった。また、日蓮大聖人も、凡夫の御姿で御出現された。私ども凡夫と根本的に違うのは、その御本仏としての御境界なのである。

 この世の中に、「丈六じょうろくの仏(=一丈六尺、約四・八五メートルの身を示現して三蔵教を説いたとされる釈仏のこと)とか、金ピカの「仏」などというものが存在するわけはない。法の低さ、浅さを、そうした神や仏の姿で糊塗ことしようとする宗教の欺瞞ぎまん性に、決してだまされてはならないと訴えておきたい。

 ジョン・ドレイパーが『宗教と科学の闘争史』(平田寛訳、社会思想社)で指摘しているように、ブルーノは″人間の信仰のために″″みせかけの信仰″と戦い、″道徳も信義もない正統派″と戦ったのである。



 19  仏法は、一人一人の「人間」を尊重し、「人間共和」の世界を築きゆく大法である。

 大聖人は「松野殿御返事」に次のように仰せである。

 「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況いわんや持てる在家出家の者をや」と。

 ――過去の不軽菩薩は″一切衆生には、皆、仏性がある。法華経を持つならば、必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑することは仏を軽んずることになる″と、一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのである。つまり″法華経を持っていない者でさえも、もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性がある″として、このように敬い、礼拝した。まして法華経を受持した在家、出家の者を尊重したことはいうまでもない――。

 これは「十四誹謗」を戒められた御文であるが、一人一人の人間を尊んでいくことの大切さを教えられているのである。

 一切衆生には仏性がありみな仏子である。ましてや御本尊を受持している者は、この御文の後に仰せのように、出家(僧)、在家(俗)を問わず「必ず皆仏なり」なのである。

ゆえに互いに尊重しあっていかねばならない。御本尊を持つ者をそしったり、軽んじたりするようなことがあれば、それは仏をそしる人に仏罰があるように、必ず罪を得ることを知らねばならない。



 20  多くの宗教が、高尚な人間愛、また生命の尊厳を説くにもかかわらず、異端、または異教の人間に対しては、残虐非道な行動をとってきた。

 私どもも、大聖人の仰せ通りに広布と信心の道を進んできたにもかかわらず、正信の徒と自称する違背の者から、理不尽な仕打ちを受けた。宗教が一歩誤れば、いかにその権威を借りて残酷で、恐ろしいものとなるかを経験している。

 しかし、真実の仏法は、すべての人間が本来、仏性を抱いた尊厳な存在であることを説ききっている。ここに信仰のいかんにかかわらず、一人一人の人間を尊重し、麗しい人間共和の世界を築く根本原理がある。

この仏法の根本精神こそ、あらゆる人々が持ち続けるべきである。そして、″時代の精神″としていくとき、人類の願望であった、美しい人間性に満ちた平和にして安穏なる世界が開かれていくのである。 so