さまざまな師弟関係(るろうに剣心)

さまざまな師弟関係(るろうに剣心)






「剣は凶器 剣術は殺人術 どんな綺麗事やお題目を口にしても それが真実」



弟子である剣心に十五年ぶりに再会した比古が、「教えたはずだぜ」と前置きしてから

この言葉を剣心に投げかけます。

この言葉は剣心が比古の弟子として修行していた頃にさんざん聞かされた言葉のようで、

剣心自身も、まったく同じ言葉を第一話で薫に言い放っています。

平和な時代において、もともとは人を殺すための技術の剣術は、

「人を活かす」ことに重きを置く流派が現れるなど、多様化をみせた。

「剣術によって志を遂げられる」「剣は志のシンボル」というように、剣や剣術を心のよりどころにするのは

大いに結構だが、それを用いることで人の命を奪ってしまうのだということを忘れてはならない。

比古はそのことを悟らせるために、この言葉を剣心に刷り込んだのだと思いますが、

皮肉にも、剣心は14歳の時に「新時代のために剣をふるう」ということを盲目的に信じて

幕末の動乱に身を投じ、多くの人を斬ってしまいました。

剣心が自分の罪の重さに気がついたとき、この言葉の重みも同時に知ったことでしょう。

飛天御剣流は時代の苦難から人々を守るのが本来の理

だが、それはあくまでも どの権力 どの派閥にも属さない自由の剣としてだ

飛天御剣流は非常に強力な剣術です。

その強さゆえ、飛天御剣流が加担した方に必ず勝利をもたらしてしまいます。

この圧倒的な強さを持つ剣術が権力に利用されてしまった場合、

その権力は一方的に自らに都合の悪い者を葬ることのできる力を手に入れたことになるのです。

それゆえ、代々の飛天御剣流の継承者はその力を権力に利用されないように注意してきました。

14歳の剣心にはそれがわからず、ただ「時代の苦難から人々を守る」ということだけを

盲目的に実践しようとしたため、この力を長州藩に利用されてしまうことになったのでした。

本来なら、比古の言う通り「どの権力 どの派閥にも属さない自由の剣」として

幕末の動乱を立ちまわるべきでした。

強力な力を持つ者は、その力の使いどころを誤ってはならないという戒めを持った言葉です。

俺自身が出張れば一番てっとり早えんだが 今更そんな面倒臭え事は御免だ

人斬り抜刀斎に立ち戻らずに志々雄真実と戦うために、剣心は飛天御剣流奥義の伝授を希望しますが、

比古はあーだこーだ言ってゴネていました。でも、結局最後には伝授してくれることになるのです。

その際に放った言葉です。

「奥義伝授してやるけど、お前のためじゃないんだからね!俺が行くの面倒なだけなんだからね!」

という、ツンデレ的な意味でとらえてもいいんでしょうが、ここはやはり、

志々雄真実という幕末の亡霊を生み出すことに間接的にかかわった剣心に責任をとらせることで

剣心の罪の意識の負担が少しでも軽くなるように、という師匠心が働いたのではないでしょうか。

素直じゃないですが、師匠というものは自分の行動の理由をいちいち弟子にくどくど説明しないものです。

「お前一人が全てを背負って犠牲になるくらいで守れる程 明治という時代は軽くねえはずだ」

奥義の伝授の前に剣心にかけた言葉です。

何かを守るために自分一人で全てを背負おうとする傾向のある剣心に釘を刺すための一言なのですが、

言い方にシャレが効いていて比古らしくて良いですね。


さらに、「覚えておけ どんなに強くなろうとお前は一介の人間 仏や修羅になる必要はないんだ」

とよりわかりやすい言葉を剣心にかけます。

「話は終わりだ 始めるぞ」

この後、地獄のしごきがはじまりますが。

手取り足取りで教えられた技は身につかない

一度喰らってそこから学び取った技こそいざって時に役に立つ

ハイ、比古の教育方針がよくあらわれてるセリフですね。

技を教える際、比古は弟子にその技を喰らわせることで覚えさせていたようです。

そんなムチャクチャな! と思うかもしれませんが、案外他の師匠キャラも

これに似た教育方針が多かった気がします。


 アバン先生は、ダイにくたくたになるまで剣を振らせて大地斬を覚えさせたり、

 ドラゴラムでダイに炎を吹きかけて海破斬を覚えさせたりしましたし、

 マトリフはポップにメドローアを教える際、ひとしきり理屈を説明したあと、

 実際にメドローアをポップに向けて放っています。

 幻海師範も、霊光波動をはねかえす修行で幽助に容赦のない霊光波動を浴びせたりしました。

こういう師匠の教育はジャンプの伝統なのかもしれませんねー。