人生送りバント

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#野球 #送りバント

#遊撃手 #新人間革命

1994年4月28日はバントの神様、巨人・川相昌広がセリーグ新記録、通算265犠打を達成

野球の国際大会があるごとに、日本の野球スタイルとして掲げられるのが「スモールベースボール」です。

長打に依存せず、ヒットエンドランや盗塁、犠牲バントとった戦術を使って、こつこつと得点して行くものですが、日本のWBC連覇などでも強力な投手力を生かしたこの戦い方で栄冠を勝ち取りました。

そういった日本的な野球の象徴でもある犠牲バントを、世界でもっとも決めているのが川相昌弘です。

通算で533回の犠打を成功させ、その成功率はなんと.906に及びます。2位である平野謙の451回を大きく上回り、更にはメジャーリーグ記録の512回を越える世界記録は、まさに日本的な犠牲精神の結果として話題になりました。

川相昌弘の経歴を追ってみます。

1964年9月27日生まれ、岡山県岡山市出身。岡山南高校では投手として甲子園に出場。

1982年のドラフトで読売ジャイアンツに4位で指名されて入団。

名選手といっても、新人からしばらくの間は、巨人という強いチームに所属していたこともあるのですが、2軍か1軍でも試合には出場できないベンチ要員というイメージでした。

特に当時の巨人の選手は基本的に他のチームでも中心選手になれるような選手が下位打線にいるようなチームでもありましたから、これといって特徴のない川相昌弘選手には出番がある試合は皆無となっていました。

当時の2軍監督の指導と本人の努力により、攻撃では小技であるバントやランナーを進塁させるようなチャンスを広げられる打者として、守備ではチームで最も安定した内野手として、ようやく2番でショートのポジション手に入れる事ができました。

その後も、個の強い巨人の打線の中で、自分を犠牲にしてでもチャンスを広げられる川相昌弘選手は、チーム内では絶大な信頼を得て、対戦相手からは嫌がられる選手になりました

通算犠打533、成功率.906という、まさに職人芸といえるバントのうまさを見せた川相ですが、高校時代はエースで主軸を打っていました。

プロ野球選手になるほどの人たちは、子どもの頃からその地域では頭抜けた才能を見せる者が多く、かなり多くがエースで4番です。

川相もまたそんな選手のひとりでしたが、

川相はプロに入って生き残るために、バントの練習を必死でやったのでしょう

【川相昌弘選手の名言】

「バントで勝負しようとか、そういう気持ちはなかった。レギュラーを取るためにやらなければならないことのひとつだった」

新人間革命3巻 仏法西還の章より

更に、呼吸を合わせることの大切さを強調した。

 「組織の強さは、どこで決まるか。それは団結であり、幹部が呼吸を合わせていくことです。幹部同士の呼吸が合わない組織というのは、一人一人に力があっても、その力が拡散してしまうことになります」

8  仏法西還(8)

 「たとえば、会合で支部長が『学会活動をしっかりやって、功徳を受けていきましょう』と指導する。それに対して、隣にいる副支部長が『生活を離れて信心はない。仕事を一生懸命にしよう』と言えば、まとまる話も、まとまらなくなってしまう。

 あるいは、支部長が『わが支部は教学をしっかり勉強していきたい』と言った時に、『実践のない教学は観念です。折伏しなければ意味がない』と支部の婦人部長が言えば、聞いている人は、何をやればよいのかわからなくなってしまう。

 これは呼吸が合わない典型です。どの人の話も学会が指導してきたことではありますが、これでは、指導が″対立″して混乱をきたすことになる。

 これは、呼吸を合わせようとしないからです。呼吸が合えば、同じ趣旨の発言をしても、自然に言い方が違ってきます。

 たとえば、支部長が『教学をやりましょう』と言ったら、『そうしましょう。そして、実践の教学ですから、題目を唱え、折伏にも頑張っていきましょう』と言えば、聞いている人も迷うことはない。これは″対立″ではなくて、″補う″ことになります。

 野球でも、強いチームは巧みな連係プレーができます。一塁手が球を追えば、誰かが代わりに一塁に入っている。これも呼吸です。一塁を守るのは彼の仕事だから、自分には関係ないといって何もしなかったら、試合には勝てない。

 また、ランナーが出て、得点のチャンスとなれば、自分がアウトになっても、送りバントや犠牲フライを打つこともある。

 大切なのは、自分を中心に考えるのではなく、勝利という目的に向かい、呼吸を合わせていくことです。そこに、自分自身の見事なる成長もある。

 ともかく、今年もまた、鉄の団結をもって、未聞の凱歌の歴史を開いていこうではありませんか」

 幹部会終了後、伸一は、この一年の大勝利への誓いをとどめ、全参加者と記念のカメラに納まった。

 ここに、新しき躍進のエンジンは、轟音を響かせて回転を開始したのである。

 全国各地に散ってゆく友の顔は、闘志に燃え輝き、胸には革新の鼓動が脈打っていた。 e