母の日フェス

母の日フェス




今年は5/10(日)が母の日です。

1年で一度、母へのありがとうの気持ちを改めて感じ、そして伝える大切な日です。

そこで今回はお母さんへ贈る歌、お母さんへ感謝の気持ちを描いた歌を集めました。


おふくろさん  森進一

母からの教えを胸に歌い上げた、NHK紅白歌合戦でも何度も披露されている言わずと知れた代表曲。


秋桜  山口百恵

1977年にリリースされた山口百恵19枚目のシングル曲。

母に捧げるバラード  海援隊

武田鉄矢さん・中牟田俊男さん・千葉和臣さんの3人組フォークグループ海援隊。


ふるさと  モーニング娘。

モーニング娘。の6枚目のシングル。

安倍なつみが北海道に帰省するドキュメント風の作りで、コンクリートに覆われた東京の雑踏風景といかにも“ふるさと”と呼ぶにふさわしい美瑛駅・美瑛町の大自然の風景を対峙させるように収録されている。また、各メンバーの母親が顔を隠して出演、メンバーの幼少期の写真も公開されている

未来へ kiroro

Kiroroの代表曲のひとつで、音楽の授業や合唱コンクールなどでもよく歌われている名曲。



ママへ  青山テルマ

かりゆし58出身の沖縄で、アンマーとはお母さんのことを指す言葉です。

ロッテガーナミルクチョコレートCMソングにも起用された、母親の優しさが垣間見られるバラード曲


アンマー  かりゆし58

かりゆし58の名を一躍有名にした母の日ソング。アップテンポな曲調ながら、温かな母の愛を感じる名曲。



ありがとうの輪 絢香

自分を大切に育ててくれた両親への感謝のうたで、ウエディングソングとしても人気。



 母のうた  吉田山田

“あなたがもしもいつか私を忘れてしまっても

私が覚えている

私はずっとあなたのワガママな子”

PVは何十組もの母と子の思い出の写真が出てくるシンプルな構成。

全体を通して、親子としての若いころの思い出の写真、成人後の思い出の写真など、歴史を感じさせるのです。



手紙    back number

“嬉しい事があった時に

誰かに言いたくなるのは

自分よりも喜んでくれる人に

育ててもらったからなんだろうな“

小さな息子との日常が描かれていて、思わずほっこりしてしまいます。

母の日ソングだけではなく、結婚式ソングとしてもぴったりな本曲は、大人になった青年が幼いころの両親との思い出を振り返る内容。



ママへ   AI

“世界で一番厳しくて

世界で一番優しい人

理由も知らないくせに

いつも一緒に泣いてくれてた“

純粋にお母さんの偉大さや感謝を歌う曲。

AIさんらしいリズミカルなテンポが特徴で、素直に心に響きます。

フィギュアスケートの安藤美姫選手が、出産発表後初のステージに使用したことでも話題に。



新人間革命24巻 母の詩の章より

この時、彼は、曲について意見を聞かせてもらった、民音(民主音楽協会の略称)に勤務する植村真澄美と松山真喜子という、二人の女子部員に、詩「母」に曲をつけてほしいと頼んだ。

 詩「母」は、伸一が、五年前の一九七一年(昭和四十六年)の十月に作った詩である。母親の幸をはじめ、学会の全婦人部員を思い描きながら、作詩を進めたのだ。

 母よ!

 おお 母よ

 あなたは

 あなたは なんと不思議な力を

 なんと豊富な力を もっているのか

 この一節から始まる、約二百行の長編詩で、伸一は、母こそ万人の「心の故郷」であることを謳った。

 海よりも広く、深い、母の愛は、正しき人生の軌道へと、人を導く力でもある。



34  母の詩(34)

 山本伸一は、子に愛を注ぐ母という存在は、戦争に人を駆り立てる者との対極にあり、「平和の体現者」であると見ていた。

 彼は、詩「母」のなかで詠んだ。



 「だが母なる哲人は叫ぶ――

 人間よ

 静かに深く考えてもらいたい

 あなたたちの後ろにも

 あなたたちの成長をひたすら願う母がいる

 ベトナムのアメリカ兵にも

 わが子の生命を強烈に気づかう母がいる

 硝煙の廃墟に苦しむ解放軍の背後にも

 わが子の無事を祈り悲しむ

 傷ましい母が待っているのだ

 母という慈愛には

 言語の桎梏もない

 民族の氷壁もない

 イデオロギーの相克もない

 爽やかな畔道にも似ていようか

 人間のただ一つの共通の感情

 ――それは母のもつ愛だけなのだ」

 これは、伸一が、母の幸から学んだ、実感であり、哲学でもあった。

 母たちが人間革命し、さらに聡明になり、この母性の美質を、思想化していくなかに、確かなる平和の大道が開かれるというのが、伸一の信念であったのである。

 彼は、この「母」の詩にメロディーをつけて、わが母を、婦人部員を、そして、世界のすべての母たちを讃えたかったのである。

 伸一が、植村真澄美と松山真喜子に作曲を頼もうと思ったのは、七月二日のことであった。この日、戸田城聖が出獄した「7・3」を記念して、「恩師をしのぶ会」が行われた。その席で、彼女たちが、「厚田村」「森ケ崎海岸」「緑の栄冠」などの曲を、ピアノとマリンバで演奏してくれたのである。

 伸一は、歌の心を美事に表現した、優雅な演奏を聴いて、この二人なら、きっと、すばらしい曲をつけてくれると確信したのである。


35  母の詩(35)

 七月十八日、「人間革命の歌」が完成した時、山本伸一は、植村真澄美と松山真喜子に言った。

 「あなたたちに、頼みたいことがある。私の作った『母』の詩に、曲をつけてもらえないだろうか。

 もちろん、自由詩だから、そのまま、曲をつけるのは難しいと思うので、詩は歌にしやすいように整えてあります。それでも、曲にしにくいところがあれば、自由に直してかまいません。 i