Jリーグ開幕!

Jリーグ開幕!



#サッカー #Jリーグ開幕

#1990年代 #池田大作全集

1993年5月15日、日本初のプロサッカーリーグ『Jリーグ』の記念すべき最初の試合が行われました。

この時のカードは『ヴェルディ川崎』対『横浜マリノス』戦でした。試合会場の東京・国立競技場には、約6万人の観衆が詰めかけてスポーツの新たな歴史の瞬間を目にしました。

試合は2対1で『横浜マリノス』が勝ちましたが、サッカーの楽しさ、素晴らしさが全国に伝わった熱い夜でした。



Jリーグが開幕した1993年は、サッカーの話題が日本中を席巻しました。

この年の新語・流行語大賞には「Jリーグ」が年間大賞に選ばれ、新語部門・金賞には「サポーター」が選出されました。

スポーツを見るだけでなくチームを支える人を指す「サポーター」は、それまで日本に存在していなかった新しいスポーツの楽しみ方を生み出しました。

Jリーグは地上波でも放送され、「Jリーグチップス」というお菓子も大流行しました。

またレトルト食品の「Jリーグカレー」のCMも話題となりました。サッカー少年まさおがJリーグカレーを食べると、ラモス瑠偉に変身。当時最先端のCGで人気を博しました。

 さらに男性向け育毛・増毛サービス、毛髪関連事業を展開する企業のCMには鹿島アントラーズのアルシンドが登場。「アルシンドになっちゃうよ」や「トモダチナラアタリマエ」のフレーズでお茶の間に浸透。

加えて、特に流行したものがミサンガでした。

手首(や足首など)に巻き、紐が自然に切れたら願いごとがかなうという縁起担ぎの意味もあったようです。


僕の小学校でもクラスの男子の半分はサッカー少年団に入っていました。

中学、高校は野球部でしたが、 実は僕も小学生の時はサッカー少年でした。

時代の流れには逆らえないようです。

初めて観に行った試合はもちろん地元の浦和レッズ。

祖父の家が駒場競技場のすぐ近くにあり、試合がある日はとてもにぎやかだったのを覚えています

少年時代にサッカーを始めるきっかけは人それぞれだと思いますが、僕がサッカーを始めたきっかけはJリーグです。

今回は空前のサッカーブームだった1993年の先生のスピーチをご紹介します。

1993.6.28 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)より

14  バッジオ選手──「広布の大願」が自分を生かす

 今、日本もサッカーブームである。休む間もなく展開される試合は、片時も目が離せない。真剣そのもののプレー。実に魅力あふれるスポーツである。

 先日(六月十七日)、イタリアの天才サッカー選手バッジオ氏夫妻が学会本部にお見えになった。ヨーロッパ随一、さらに世界一ともうたわれるスーパースターであり、空港など、どこへ行っても、すぐにファンのサイン攻めにあう、大変な人気である。

 彼はイタリアのSGIメンバーである。私は、遠路はるばる訪れた求道の友を心から歓迎した。

 私は、完成したばかりの左門町(東京・新宿区)の戸田記念国際会館を初訪問するところであった。ご夫妻とともに国際会館に行き、また夕食をともにしながら語り合った。

 彼は、二十六歳。全身バネのような、鍛え上げた肉体。

 皆さんは、精神は鍛えられているが、肉体は少々、太りすぎの方もいるようだ。学会活動は運動にもなるし、やせるのにもいいかもしれない。仏法に無駄はない。

 バッジオ氏には、常に真剣勝負に挑戦する精悍なまなざしがあった。しかも名声や人気に流されない謙虚な態度があった。まことにさわやかな好青年であった。奥さまも人柄のいい方である。


15  彼は五年前、イタリアのSGIの友を通じ、仏法と出あった。

 ″いつも大事な時に、ケガなどで苦しむ自身の宿命を転換したい″″いま一歩のところで勝てない自分の弱さを打ち破りたい″──こうした悩みを「必ず解決できる」との友の確信にふれて、彼は入信した。

 以来、朝夕の勤行を欠かしたことがないという。日顕宗の坊主などとは比べものにならない。時間があれば、すぐに唱題する──彼は、たゆみない唱題で、ヒザの重い故障も乗り越えた。

 彼は語っている。

 「以前は、ただ試合に勝つことだけを祈っていました。しかし今では、″サッカーを通して、広宣流布のために、お役に立ちたい″と祈れるようになりました」と。

 微妙なタッチの差である。しかし、決定的な違いである。

 自分の目下の課題について祈り、全力を挙げることは当然である。同時に、″広布のために″という祈りに立ったとき、その大きな一念に、小さな悩みは全部、含まれ、全部、好転していく。

 大宇宙の惑星にも公転と自転がある。「広宣流布」という大願への祈りは公転である。自分自身の悩みへの祈りは自転である。自転と公転があって初めて、自分という小宇宙が、大宇宙の軌道と調和できる。

 皆さまも、「今の行動は、すべて広宣流布のための活動である」──こう一念を定めていただきたい。すべて友好の道を開き、仏縁を結んでいるのである。

 バッジオ選手は、″広布への祈り″に立ってから、自分の境涯も、視野も、行動も、すべてが大きく変わっていったという。また、自分が変わることで、周囲も変わった。チームも、チームを取り巻く状況も、良い方向へと回転し始めた、と。


16  彼は、私と会った翌日、長旅で疲れているにもかかわらず、創価学園、創価大学を訪れ、サッカー部のメンバーと思い出のひとときを刻んでくれた。

 創価学園、創価大学は、勉学とともにスポーツにも力を入れている。将来のために、あせることなく、じっくりと実力を養ってほしいと願っている。

 これは万般について言えることである。要は「人」である。一級の人材を育てることである。

 学園で、ある生徒がバッジオ選手に質問をした。

 「ぼくも将来、プロのサッカー選手になりたいのですが、バッジオ選手が心がけている点は何ですか」

 答えは「意志、すなわち″やる気″が一番、大切です」と。

 勉強でも、仕事でも、学会活動でもそうであり、人生すべてに通じる法則である。

 「サッカーは見ている人にとっては楽しいかもしれませんが、仕事としてやっている者には、重いものです。ですから、まず必要なものは意志。そして、それ以上に大切なものは信心です」と。

 実に明快で、堂々とした答えである。

 勝負の要諦は″信心″──これが″若きサッカー王″の確信である。信心から出発し、信心で戦えば、勝てない勝負はない。


17  皆の力を生かすのが名リーダー

 ところで、彼をはじめ超一流のサッカー選手に共通する長所は何か。

 ポイントの一つとして、″仲間の選手に素晴らしいパスを送る″ことが挙げられる。

 自分が見事なシュートを決めて、得点するだけではない。絶妙なパスを出して、仲間の力を最大に生かしていく──ここに名選手の要件がある。

 リーダーも同じである。自分だけが偉ぶって、皆を抑えつけるのではない。皆に自由奔放に動いてもらい、もてる力を引き出してあげるのが名指導者である。

 サッカーでは、絶えず四方八方に気を配り、仲間のために心を砕いていく──こうした目に見えない心と心の信頼のなかに、ゴール(得点)を全員で喜び合う、あの美しい光景が生まれる。

 学会の世界も同様である。


18  さて、我が同志・バッジオ選手は、先月、行われたヨーロッパの大会(欧州サッカー連盟カップ)で、イタリアの名門チーム(ユベントスFC)のキャプテンとして大活躍した。仲間の相次ぐケガ、マスコミの悪意の報道などを、すべてはね返して、堂々と優勝を勝ち取ったのである。

 今回の来日も、この勝利を私に報告したいとの思いからであったという。しかも直接、私に言わないで、あとから、私は、人づてに、そう聞いた。自慢のようになるから、と思ったのであろうか。その心が美しい。

 決勝戦の相手は、強豪ドイツであった。バッジオ選手率いるイタリア・チームは、最初から一気に猛然たる勢いで攻撃していった。そして、試合開始から、わずか四分で先制のゴールを決めた。

 勝負は最初の勢いで決まる。″初めからエネルギーを出せば息切れする。だから少しずつ力を出そう″などと考えていては勝負にならない。相手が強豪であればあるほど、最初から全力で挑んでいく──そこに勝利への突破口も開ける。そうなれば、心の余裕も生まれる。

 先取点に熱狂する大観衆。だがバッジオ選手は、浮かれた様子を見せない。キャプテンが少しでも浮つけば、チーム全体に感染する。

 彼は試合前から、″これでもう勝ったと油断してしまえば、そこからゲームが狂ってしまう″と、自分に言い聞かせていたのである。

 彼を中心にイタリア・チームは、怒濤のごとく、最後の最後まで、攻めて攻めて、攻め勝った。最初の勢いを最後まで持続したのである。

19  彼は、自分の勝負哲学をこう語っている。

 「まったく同じ力をもったチームが試合をした場合、勝負の決め手になるものは何か。それは、勝負どころで、″絶対に勝つんだ″という一念でチームが結束できるかどうか。その勝負への執念が試合を決める」と。

 もうダメだと心を乱せば負ける。絶対に勝つと決めたほうが勝利を手中にする。この試合、結果は三対〇で、バッジオ選手は、ついに念願の優勝を果たすことができた。

 ともあれ私たちも、「大闘争」の七月を、喜び勇んで戦い、勝利してまいりたい。

 そして、ともどもに晴れ晴れと集い合いましょう J